うろうろ力を信じたい

うろうろ力を信じたい

日記 - 2020.9.18

いいチームをつくることは、いい仕事をすることに直結します。それは究極、いい人生を送ることにも関わります。大袈裟ではなく。

きてん企画室のようなひとり事務所では、誰とどんなチームを組むかという「アサイン(役割当て、声がけ)」から仕事がはじまります。

実際、わたしときたら四六時中、「この企画は誰とどうやろうかな」という企みばかりしています(そういう裁量があるプロジェクトが多いのがありがたいのですが)。

大切なのは、誰に頼むかはもちろんのこと、なぜ頼むか、どのように頼むか、クライアントや他メンバーとの相性はどうか、挑戦したいことに沿っているか、アクシデントが起きたときどう回収するか……などの設計。

でも結局のところ、「一緒にやりたい!」という直感こそ大事なのかもしれません。今日はそんなことをつらつら書いてみます。

ことばを大切にして、うろうろしている人

じゃあ、どんな人と一緒にやりたいかな……と自問自答していて、最近まとまった方針は「ことばを大切にしている人」で「うろうろするのが得意な人」。

前者はコミュニケーション活動の上で欠かせない要素です。どんなに仕事ができても名前が売れていても、他から借りてきた表現を軽々しく使ったり、物事を口汚く表す人とは組めません。たとえ言語を直接使わない場面であっても、きてん企画室の仕事は「コミュニケーション」そのもの。チーム全体でことばを大切にできていなかったら、誰にも何にも約束ができないからです。

そして後者の「うろうろするのが得意な人」とは、そのままうろうろしている人です。あっちへうろうろ、こっちへうろうろ。多分野で活動をしていたり、さまざまな領域に関心があったり。自分の仕事に関係なく、物事が気になったらすぐに足を運び、その手で試してみる人。それは物理的な意味でもそうだし、調べ物をしたりという行為においても。

うろうろしている人には「色気」がある

うろうろしている人の第一の魅力は、「アタリ」をつけるのが上手いことです。

権威があるとか流行っているとかに関係なく、「面白そう」「妙に気になる」「あの話とこの話は繋がるのでは」といった勘を信じてうろうろしています。だいたいの場合、その鋭い勘は豊かな経験や知識に基づいています。

また、うろうろする人はすぐに使える知識や出会いでなくても溜めておく余裕があります。日々に追われている人はうろうろできません。オリジナルの物差しがない人もうろうろできません。人から嫌われる人もうろうろできません。

勘がよくて、余裕があって、独特の価値観があって、人にも嫌われない。だから、うろうろしている人はある種の「色気」を持っていることが多いのだと思います。そこがポイントです。

合理的で理性的な時代にこそ

情報過多な時代のコミュニケーション活動において、とにかく大切なのは「色気」です。力強く言い切りますけど本当に。

色気とは、「なんだかいい匂いがする」「面白そうである」「つい見入ってしまう」「放っておくことが出来ない」、そういうものすべて。

そして企画に色気を出す一番の方法は、色気のある人と本気でつくりこむことです。しかも、そういう人はこちらがつまらないと逃げてしまうもの。一緒に仕事する自分自身の面白みもまた問われることになります。それがまた、いいんです。修行的な意味で。

……と、いうことを言いすぎると、近年研ぎ澄まされてきた合理的なプロジェクト運営だったり、理性的なクリエイティブのためのフレームワークをないがしろにして、再び感性重視の時代に遡るキケンをつっこまれそうですが。

でも、それでも。全体を底上げするフレームワークが広まってきたからこそ(その重要性はわたしもわかります)、属人的な感性だったり色気が欠かせないなあ、と思うのです。

だって実際の生活では、誰と付き合うかを合理的かつ理性的になんて選ばないのですから(そうではない人もいるかもしれないけど)。

きてん企画室は、組織や企業が主語になっていても「人と人とのコミュニケーション」であることを忘れずにいきたいなあと思います。そしてそのためには色気が必要で、うろうろする感覚が大事。だからとにかくうろうろするのです。うろうろしている人に出会うために。

今回もまなんの話だろうと思いつつ……ではではまた。連休中はうろうろしてきます。

中田一会 (なかた・かずえ)

Text by

中田一会 (なかた・かずえ)

“機転をきかせて起点をつくる”「きてん企画室」の代表/プランナー。文化・デザイン・ものづくり分野の広報コミュニケーション活動をサポートしています。出版社やデザインカンパニーの広報PR/編集職、文化財団の中間支援兼コミュニケーション職を経て独立。

詳細プロフィール