「きてんは一人だけど、中田さんは一人じゃないんだと思いました」
きてん企画室で企画・運営している勉強会シリーズ「ジムジム会」(主催:アーツカウンシル東京)の最終回でのこと。アシスタントの「ゆりえる」こと宮﨑有里さんが手紙をくれた。
そこに添えられていたのが、先の一文だ。泣きそうになった。いや、正直ちょっと泣いた。(最近涙腺弱いんだからちょっとだめよ、不意打ちなんて反則よ……ありがとう)。
ゆりえるは、NPO法人トッピングイーストに勤める若手アートマネージャーだ。24歳、新卒1年目。大変フレッシュ!
学生時代からフットワークが軽くて、さまざまなアートプロジェクトの現場でよく会った。わたしの広報講座にも来てくれていた。仲良くなるなかで、「ちょっとへんてこだけど賢い人だなぁ」というのが彼女の印象だった。
そんなご縁で今年度、アートプロジェクト運営における広報を学ぶジムジム会の運営+記録のアシスタントをお願いすることになったのだ。(最終的には彼女のボスにお願いして実現! ありがとうございました、清宮さん!)
実は、このゆりえるが、きてん企画室にとって初めてのアシスタントというか、運営パートナー第1号である。そして本当に、本当に助かっている。とても出来るのだ……彼女は。
情けないが、わたしは人に仕事を分けるのが下手だ。後輩をちゃんと育てた経験もない。
というか、インハウス広報として勤務してた頃は、ボス直下のプレイングマネージャー的な立場で、自分一人で決めて動くことばかりだったのだ。
だけど、場を盛り上げてプロジェクトチームをつくったり、会社全体で企画を動かすことは得意。そういうやり方を「旗を振る仕事」とひそかに呼んでいた。
特にスタッフが主役のコンテンツ制作やイベント登壇、パーティやイベントなどは、他部署メンバーの巻き込みが肝で旗振り力が問われる。
あの手この手で人を動かすものだから、そのうち社内でついた渾名は「ドナドナ」だった。(ひどい!)
そんなわたしが年末に会社をつくった。「誰か人を雇うの?」とよく聞かれる。正直、まだそこまでの規模感も責任も持てない。しばらく一人会社のつもりだ。
だけど、ゆりえると働いてみて、ちょっと可能性が見えた。今回のようにひとつのプロジェクト(今回は、全5回の勉強会における企画・運営・記録の受託)のパートナーというところからなら、誰かと一緒にできるかもしれない。
わたしの周りには、優秀でモチベーションも高いけど、健康や生活上の理由でフルタイム勤務できない人がちらほらいる。
アルバイトや派遣という手もあるだろうけど、興味関心のある分野で少しずつ“慣らし運転”してもらうのはどうか。あるいは、ゆりえるのように、本業で活かせそうな学びのあるプロジェクトにパートタイムで入ってもらうのはどうか。(企画運営や記録、広報はどこでも使えるスキルだし!)
そうやって、きてん企画室を使ってもらえたらとても嬉しいし、助かるし、寂しくなくていい。
立派な建物を建てて雨風からみんなを守ることはまだできないけど、日差しの強い砂漠でパラソル一本立てて一緒に過ごすぐらいならできそうな気がしてきた。
ちなみにこれは自慢だけど、きてん企画室のプロジェクトはどれも楽しい。はっきり言って楽しい。なぜなら、現場を楽しくすることも含めて仕事だと考えているから。
人や組織の意思を引き出し、ことばと態度の設計を行うのがきてん企画室の役割。関わる人すべてがリラックスして、個性を発揮できる関係と場づくりは欠かせないのだ。(もちろん、「楽しくする行為」自体がすべて楽しいわけではないけど、そのあたりはわたしの担当なのでメンバーには楽しくいてほしい)
「楽しかった。勉強になった」と言ってくれたゆりえるが(社交辞令じゃないことを祈ってる!)、「一人じゃないんだと思いました」と添えてくれたことは大きなヒントになった。
そう、きてん企画室は一人会社だけど、ひとりで仕事はしてない。みんなで働けたらいいし、働く楽しみを分けられたらいいし、その方法を小さな会社として柔らかく試していけたらいい。
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ということで年始は、会社としてのビジョンやミッションを語る記事がいいかもと悩んだけれど、一人会社らしく、創業した個人としての気持ちから書いてみた。
きてん企画室の一期目は、そんな風に、少しずつ「個人」から「会社」にシフトしていく考え方の変遷も綴っていこうと思う。その過程をこの日記に納めていくつもり。
そうして二期目に法人としての言葉を紡げたらいいな。なんて、大変ゆっくりカイシャになろうと決意した2020年の幕開けでした。
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“機転をきかせて起点をつくる”「きてん企画室」の代表/プランナー。文化・デザイン・ものづくり分野の広報コミュニケーション活動をサポートしています。出版社やデザインカンパニーの広報PR/編集職、文化財団の中間支援兼コミュニケーション職を経て独立。