こんにちは。きてん企画室・中田です。
スマホを5年ぶりに買い替えまして、iPhone15proを手にしてわくわくしています。
最新ガジェットを追いかける脚力が失くなって久しいのですが、それでもやっぱり新しいものっておもしろいですね。わたしの記憶では「機種変更」とか「データ引き継ぎ」とか「キャリア乗り換え」ってかなり面倒で、お店でずーっと待つイメージだったのですが、家のテーブルでiPhoneとiPhoneを近づけたり、言われるがままにアプリを入れたりするだけですべてがすみました……すごい。
あと動画がきれいだし、編集アプリもおそるべき進化を遂げていて、楽しい〜〜ってなってます。……繁忙期の現実逃避というやつですね。
そんな今日このごろ、去年に引き続き、文化活動家・アサダワタルさんに呼んでいただいて近畿大学で講義を担当しました。これからキャリアを築いていく大学生の皆さんに仕事についてお話しし、イメージをつけてもらおうという授業です。
その質疑応答タイムに「そういえば去年もこの話題、でましたね!」とアサダさんに言われたのがとある質問でした。正確に言うと去年と今年の2つの質問は違うものだったのですが、答えがだいたい一緒だったんです。
それは……「中田さんはどんな人と仕事したいですか?」「中田さんにとってのプロフェッショナルとは?」という質問。
わたしはそのどちらにも「専門性のなかに閉じこもらない、とどまらない、『ここからここまで』って自分のやることの範囲を決めない、領域や分野や職種をはみだしちゃうような、しみだしちゃうような人」と答えました。
専門性や経験値が高いことは、もちろんすばらしいことです。ただしわたしが一緒に働くなら……線引きをせずにいろいろやってみる人がいい。
新しいテーマや新しいつくりかたに取り掛かるときには、陣地とりとか遠慮をしている暇はないなって常々感じています。そういうときにチームメンバーの間で線を引いてしまうと動けなくなってしまうから。
きてん企画室にやってくる仕事の多くは、どうにもこうにもならない状況に知恵と工夫を差し込むようなものばかり。「型を踏襲する」ことを大事にしているとなかなか進みません。
はみだしたり、しみだしたりすることで、遊ぶような感覚を持っている者同士のほうがうまくいく。……というのは、ここ数年で身にしみたことでした。自分自身もそうありたいなと思います。
若い頃は、尖った専門性がないこととか、職種としての名のりが定まらないことに、コンプレックスを感じていたものなのですが、いつからかあまり感じなくなりました。なぜだろうな。
そこそこの居場所ができたからかもしれないし、恥ずかしさとか焦りみたいなものってエネルギーがいるので中年になってまで保てないのかもしれないし、単純に諦めがついたのかもしれません。
でもそうやって肩の力が抜けたら楽しいこともたくさんあります。
最近だと、不思議な縁が重なって、デザイナーやプログラマー、クリエイターの友人知人と協働チーム「TMPR(てんぷら)」を組み、AIとアルゴリズムと日記と散歩が合体した謎の体験作品をつくるプロジェクトに参加しています。
10月後半からは、CET23(central east tokyo)/東京ビエンナーレで「実験室」をまちなかに設け、公開制作を続けています。
チームでは大きくくくると「言葉まわり」が担当ですが、企画にも関わるし、記録にも広報にも関わるし、作品制作そのものの建付けとか考え方にも関わります。
それはわたし以外のメンバーもそうで。日頃の仕事がグラフィックデザインだったり、映像ディレクションだったり、プログラミングだったり、家具デザインだったりするけれど、それぞれの枠をひょいと超えて話し合い、手を動かしてみないと、「つくりかたのよくわからないもの」は一歩も進まない。
役割分けたほうがストレスがないんでしょうけど、それじゃあ面白くないし、掛け算のようなことにならない。
そういう発見がおもしろくて、やっています。少し前だったら「自分が『表現する側』なんてとんでもない」と萎縮しちゃっていただろうなと思うのですが、こういうことが楽しくなってよかった……というか、こっちの方がすごくヘルシーな感覚を抱いています。
TMPRの発表は、2024年1月、アーティスト・フェローに選んでいただいた渋谷CCBTで展覧会&体験機会として開催予定。
はみだし、しみだし、あそぶ……を大事にやっていきます。お楽しみに!
ではでは、また。
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“機転をきかせて起点をつくる”「きてん企画室」の代表/プランナー。文化・デザイン・ものづくり分野の広報コミュニケーション活動をサポートしています。出版社やデザインカンパニーの広報PR/編集職、文化財団の中間支援兼コミュニケーション職を経て独立。