さよなら、千葉。(移動と「地域」について思うこと)

さよなら、千葉。(移動と「地域」について思うこと)

日記 - 2025.5.24

こんにちは。きてん企画室の中田です。

突然ですが、この夏、千葉を離れることにしました。さよなら、千葉。ありがとう、千葉。

……とはいえ、千葉県千葉市から千葉県柏市/松戸市エリアへ引越&会社移転する予定なので、千葉市民ではなくなるものの、「千葉県民」ではあります。県外から見たら変わりないですよね。

それでもちょっとだけ、この移動には“思い”があるので今日は筆をとってみました。

3年のつもりが8年

8年前、千葉市に引っ越そうと決めたときにこんな文章を書きました。

2017年夏、32歳も終わりかけの夏。


東京の郊外で生まれ育ち、東京都心で暮らしてきた「わたし」は、ふと、東京から少しだけ離れることにした。移り住む先は、都心からJRで約1時間、千葉の住宅街にある「家」だ。


それは、かつて母方の祖父母一家が暮らしていた場所で、今は空き家となっている築60年弱の一軒家。趣のある古民家でも、リノベーション済みのおしゃれな住宅でもない。やや変わり者の家族の歴史が、たくさんの家財とともに生々しく残る、きちんと歳を重ねた感じの昭和の家だ。


まちにも、特に特徴はない。海も山も縁がない住宅街で、最寄り駅はとても小さい。親しい友人も近くに住んでおらず、家族も一緒ではない(「わたし」は2年前に離婚していて、子もなく、親兄弟は離れて暮らしている)。


だけど、「わたし」は、そこでひとり、しばらく暮らすことにした。おそらく2、3年ぐらい。オリンピックの騒がしさが過ぎ去るまで。新しい仕事づくりが落ち着くまで。この人生の曖昧な継ぎ目の期間を「家」で暮らしたい。増改築の跡がくっきり残る、継ぎ接ぎだらけの家の寿命を、あと少しだけ延命するべく自分が住む。「家」と「わたし」がお互いの接着剤になるようなつもりで。 ーー『家を継ぎ接ぐ』「ことのはじまり」より

もともと東京都立川市で育った私は、社会人になってから10年ほど東京都世田谷区で暮らしていました。

でもまあ正直に言って、東京の高すぎる家賃はきつかった! あと人が多すぎてしんどかった!

東京都心の自由さは大好きだったけれど、離婚して収入が一人分になり、仕事もフリーランスに切り替えようというタイミングでは余裕をもって生活するには苦しい場所でした。そこで登場したのが、「千葉のおばあちゃんち(空き家)」に移り住む選択肢です。

2017年に引っ越してきて、東京五輪が予定されていた2020年はあっという間に過ぎ、気づけば2025年。8年間も住んでいるなんて、当時の私が知ったらびっくりすることでしょう。

千葉市で自分の会社を法人登記し、市内で一度引越もしました。近隣にたくさんの友人知人ができて、行きつけの店もできました。4年前に猫と暮らすようになり、2年前には私と同じように東京→千葉生活を選んだ在宅ワーカーの夫と再婚しました。

なんだかいろいろありました、千葉。
楽しかったです、千葉。

「地域」のモヤッ

今回の引越&移転は、家族の都合や、会社経営の今後の切り替えに伴うものではあるのですが、ちょっとだけ「離れたかった」気持ちがあることは否定できません。

以前、「地元愛」の語にモヤモヤしながらも生活圏での仕事も頑張ってみようと考えたことについてブログを書きましたが、やっぱりその後もぐじぐじ悩んでいます。

仕事としては自分の専門的な知見を用いて頑張って関わっているつもり。一方で「地域の人」としての顔も求められることが少し重い。なぜなら私自身に「地域の人」の自覚が薄いからです。

そもそも自身が暮らす生活圏にコミットしている職業人って、そんなに多くはないと思うんです。私はまちづくりの専門家でも地域密着型の商店主でもないから、「地域性」そのものは自分自身には不要だと考えてきました。あと、その必要もないところに現代のよき自由があると信じてきました。実際、リモートワーカーである私は、今も全国あちこちをうろうろしながら働いています。

それでも先日も「地域を軸に活動をしている人」の枠でトークゲストの依頼がきて、「うーん」と悩み、企画されている人と話し合って結局お断りしました。

なんというか「地域」というワードで括られることの「モヤッ」があるわけなんですが、その正体について、自分でもうまく言語化できていないんです。

地域で活動することがまったく悪いわけではない。東京のワーカーだと言い張りたいわけでもない。千葉が嫌なわけではない。でもなんだか「地域で活動」と指さしされると、自認との乖離を感じる。うーん……。

強さより、ゆるさ

今の時点でちょっとわかっているのは、私が千葉に落ち着いていた理由は、郊外都市のほどよさにあるということです。

地縁・血縁のしがらみや家父長制と呼ばれるものが苦手で、とにかく逃れたいと思ってきた(でもなかなか断ち切れない)自分にとって、郊外都市の縁のゆるさはほどよく落ち着くものでした。大都市経済圏の恩恵も受けつつ、ちょうどいい距離があり、出入り自由であり、地域の個性が強すぎないところも安心できる理由でした。

独立性が高く、自立性が高く、独自性が高く、自負心が強く、連帯が強く……そんな“強い”場所では自分はとても暮らせません。怖い。

人と人が相互に依存しあい、依存先を増やすことが「自立」であると福祉の世界で言われるように、地域だってより大きな連環のなかで依存しあってなんとかやっていく……ぐらいでようやく塩梅のいい場所であると私には思えます。

しかし、「地域で活動する人」に輝ける個性や連帯が期待されるとき、求められているのは地域内で完結する「頼もしさ」であり「強さ」だと思うんです。地域が独立してツヨツヨであるために「地域で活動する人」がキラキラして、その地域の中におさまって無償の愛を持って存在していないといけないというか……その無言の圧がしんどい。少なくとも今の私にとってあまりフィットするものではなかったのかな、と、現時点では「モヤッ」の尻尾を掴んでいます。

ちなみに、千葉市が特別そういう場所だということではなくて、同じ地域で8年暮らしながら仕事をしているうちに、いつの間にか外部から「地域の人」として見られて、そのことに違和感を抱いている状況だと考えています。

これはどの街であっても、そんなに変わらなかったのでしょう。「地域」のワードに託される夢みたいなものが、私には重いのかもしれません。自分の特性というか志向はブレがないな……と感じる今日このごろです。

これからも、千葉

さいごに。誤解がないように思い切りフォローしますが、千葉市はいいところです

のんびりした郊外都市です。パッと見てわかりやすい華やかさやカルチャーがあるわけではないですが、目を凝らし足場をひろげていくと、面白い人や物ごとに出会えます。連携が強すぎないところがいいところで、みんなマイペース。いい仲間がいます。都市へのアクセスがよく、(ちょっと濁ってますが)海も近いし、あちこちに畑が広がる穏やかな環境です。

あと生来の千葉市民は慣れすぎてあまり共感してくれないけれど、加曽利貝塚は最高です貝塚はよいところです。この地面すべてが貝に支えられていると思うと、たまらないものがあります。縄文の暮らしの跡を眺めにいくのが何よりの楽しみでしたし、それをちゃんと保全・普及している千葉市はすばらしいなとずっと思っていました。(友人の友人の研究者によると、加曽利貝塚は「縄文時代のマンハッタン」だそうです。)

これからも千葉市の活動は続きますし、関わりますし、通います。広報コミュニケーションディレクターを務めている「千葉国際芸術祭2025」は今年が本番です。がんばります。みなさん遊びにきてください。そんなに遠くないところに私は相変わらず暮らしています。

千葉との縁が続くだけに、今回の移動事情と背景にある気持ちだけは書いておきたくて筆をとりました。ではまた。

これはなにかというと、近所の公園の車止めです。妙にいい造形のリスがあちこちについていて、ひそかに愛していました。
中田一会 (なかた・かずえ)

Text by

中田一会 (なかた・かずえ)

“機転をきかせて起点をつくる”「きてん企画室」の代表/プランナー。文化・デザイン・ものづくり分野の広報コミュニケーション活動をサポートしています。出版社やデザインカンパニーの広報PR/編集職、文化財団の中間支援兼コミュニケーション職を経て独立。

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