持ち込むなら、愛より下心(かも)。

持ち込むなら、愛より下心(かも)。

日記 - 2024.7.29

こんにちは。きてん企画室・中田です。Newsコーナーでもお知らせしましたが、このたび、千葉市国際芸術祭の広報ディレクターを務めることになりました。

「千葉県」ではなくて「千葉市」の芸術祭で、それはつまり、千葉市中央区在住の自分にとって生活圏ど真ん中のプロジェクトで、専門ど真ん中の仕事をするということです。

と、いっても、厳密にいうとわたしは組織広報や文化の中間支援でのコミュニケーションが主な現場だったので、「国際芸術祭」そのものは扱ったことがありません。また最近は媒体社でのウェブマガジンの創刊・運営に必死だったので、広報の現場からも少し離れていました。

さらに言うなら、日本各地で続々生まれては色々あった(本当に色々あった)地域芸術祭ブームが一巡した頃に、しずかにはじまる政令指定都市主催の芸術祭に対して「市民」としてシニカルな視点すら持っていました(います)。

それでも、それでも。

今年2月、千葉市美術館のホールで開かれたキックオフイベントを冷やかし気分でのぞきに行ったとき、ディレクターの中村さんが「千葉のことは千葉の人が考えたほうがいい。一緒にやりましょうよ」と何度も呼びかけていたことにドキリとしました。

いや、本当にそうです。イベント参加者の人が「あれをしてほしい」「これをするべき」だと手を上げのびのびと発言するたびに、「なんでみんなそんなに他人事なんだろう」と思いました。

壇上の人はまちの人ではないのに。進行形の文化は“与えられるサービス”ではなく今を生きる人のものなのに。

格好わるい、わたしの話

でも、正直にいうと、わたし自身にもそういうところがあります。

あるときは、地域のイベントをみて「東京のコピペみたいな企画だなぁ」とか「あからさまにSNS受け狙っていてやだなぁ」とか、「あの集団はなんであんなにマッチョなんだろう」とか思ってはモヤモヤしました。

また、偉い人の会議で発言権のある女性が一人しかいなくて(男性は二十人ぐらいいました)「いつの時代だ……この街で働くのはむりだ」と絶望したし、オラオラした人が自慢ばかりするプレゼンイベントを見て「主催者が止めないとまずいんじゃ」とハラハラしたこともあります。なんならそれら見聞きした「まちの出来事」に対して酒を飲みながら悪態をついてきました。

恰好わるいぃ……。

自分を振り返るとそう感じます。恰好わるい。もちろん、物事を批評的に見る視点は大事だし、なんでもかんでも享受したり参加したりしなきゃいけないわけではありません。

だけど、わたし自身は十分そこに関わる理由があり、提供できる専門的経験や、変化にコミットできる一抹の可能性を持っているわけです。

「やっている人が一番えらい」という態度は苦手だけど、画面越しに文句いってそれを娯楽のように消費して、できることがある癖に何もしなくて、安全な場所で変わらない毎日にため息ついている自分はすごくださいなぁと、不惑の年齢を前に感じたのでした。

そう、ださいのはいやなんです。

そんな理由でやることにしました、生活圏のプロジェクトを。

それは愛?

「みなさんみたいな千葉愛がある人が参加することが大事なんです」

芸術祭運営チームが千葉市在住の人でたちあがりはじめた頃(本当につい最近のことです)、よくこのフレーズを聞くことがありました。

最初は「ん?」と引っかかり、しばらく考えて、千葉市在住チームで話し合って、「千葉愛というフレーズを使うのはやめませんか」と広報方針に(勝手に)盛り込むことにしました。(発言されていた方の意図は「地域へのコミットメントが高い」というポジティブなものだとはわかりつつ、です)。

そこで生活している、生活している場所のなにかを引き受けるということは、「愛」というきれいな言葉じゃ包みきれません。

育児や介護をしている人に「愛があるからできるんだね」って声をかけたら、すごく失礼ですよね。もちろんそれもあるでしょう、でもそれだけじゃ全然ないはず。責任も諦念も縁も悲喜交交あるはず。

愛は「無償で美しいもの」と思われがちで、なのに心のなかではどこか見返りというか、同じぐらい愛への期待を向けてしまうものです。ひとの行動に「郷土愛」や「家族愛」のラベルを貼ってしまったら、両者ともに身動きが取れなくなってしまうことも多々あります。

なのでわたしは今のところ、「愛よりも下心が大事」と言い張ってます。

下心の集合=案外すこやか説

下心。それは、何かをひそやかに企むこころ。強く望むこころ。可愛げのあるサイズの利己的感情であり、小粒な野心。

たとえばわたしの「格好わるい自分でいたくない」「文句ばかり言いたくない」も下心に数えていいのではないでしょうか。「あの作家に会いたい」「地域の友達がほしい」「文化の仕事の実績がほしい」「アートに関わりたい」「人生の新しいチャレンジがしたい」ーーそんな、まっすぐな下心が集まって(ここが大事! 一人の下心じゃないこと)、その重なるところを大真面目に掘り下げていくと、案外、健全なかたちで企画が進むものです。

つい最近、大学の授業で仕事の話をしたら「仕事にエゴを持ち込むべきではないのでは」と学生からコメントが返ってきたことがありました。いやいやエゴは持ち込んでいいのでは、とわたしは思います。誰かの言うことを、要望を、課題解決を、機械的に百パーセント実行するだけの仕事だったら、人間が無理することはないと思うのです。

大義名分や、謎の文脈でやってきたものに、個人の下心もうまくまぜて、面白い企画に仕上げていく。せっかくの機会をうまく使っていく。完全に正しく、完璧に筋の通ったものはむずかしいけれど、できることはあるはず。

それがクリエイションってものなんじゃないでしょうか。そんな姿勢で千葉芸も楽しくやってみたいと思っています。

どうなっていくかはわからないけれど、一緒にがんばる仲間も探しています。

募集要項にはいろいろ書いてありますが、わたし自身が望んでいるのはただひとつ、「自分がほしいものを持ち込んで参画する」こと。

それつまり下心です。ぜひ。

千葉国際芸術祭|広報スタッフ募集中です

 

中田一会 (なかた・かずえ)

Text by

中田一会 (なかた・かずえ)

“機転をきかせて起点をつくる”「きてん企画室」の代表/プランナー。文化・デザイン・ものづくり分野の広報コミュニケーション活動をサポートしています。出版社やデザインカンパニーの広報PR/編集職、文化財団の中間支援兼コミュニケーション職を経て独立。

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