カイシャ3年目の正直な話

カイシャ3年目の正直な話

日記 - 2022.12.13

休暇をもらった週が明けて、嗚呼また仕事だ、月曜だ、それにしても12月12日って字面がかわいいな……あれ、何かの日じゃなかったっけ。何だ何だ何だ……あ、設立記念日だ! と、思い出しました。3回目の12月12日のこと。

そう、株式会社きてん企画室は、2022年12月12日で満3歳になりました。

設立した本人が忘れているなんて、法人に申し訳ないけど、そのぐらいぼんやりと迎えてしまった3周年。師走に会社設立をした3年前の自分に呆れつつ、備忘録としてここ最近の会社のこと、仕事のことを徒然なるままに振り返ってみます。

個人事業主(フリーランス)が法人成り(法人化)してみてどうなの? というあたりの参考にしてもらえれば嬉しいです。

「企業」と呼べるのか問題

きてん企画室は3周年を迎えてもいまだにひとり会社です。代表のわたしひとりが役員として所属していて、あとは都度フリーランスや同規模の会社と組んで仕事をしています。

そんなきてん企画室だって一応は株式会社ですから、中小企業……いや、零細企業とは言えるわけです。言えるんですけど、「企業」に期待されるだろう組織的な体力や資金力、揺るがない体制は正直に言ってありません。

法人化すると個人よりは信頼が得られるとはよく言いますが、どうでしょうか。身元は確かだし、ある程度の覚悟と責任みたいなところは引き受けられますが、実質的に「企業」に期待されるレベルの堅牢さはいまだ手にしてません。そのアンバランスな状況は、ひとり会社としての悩みとしてずっと引きずっています。(いきなり正直すぎる)

チーム生成は少しずつできてる

とは言っても、会社にしたことでチームをつくることは期待されるし、それがいいプレッシャーになって、ひとと仕事をする方法を試すことはできました。

現状の体制としては、パートナースタッフ的に関わってくれる人が常時いて、制作進行から執筆・編集まで、各案件を一緒に担当してくれています。

案件ごとに組んできっちり分業するのではなくて、「きてん企画室の仕事のやり方、遊び方」みたいなカルチャーというかノリのようなものを共有しつつ、一つ一つの仕事をやわらかく分け合っているのは大きな進歩だと思います。

え? それが進歩? 普通じゃない? って思った人は恵まれてますよ!そもそも誰かと仕事を分け合うのが得意だったらフリーランスなんてしていないわけです。だから大きな進歩です。と、いうことにさせてください……。

会社はお金がかかるというけれど

かかります、お金。かかるんだなぁって、ため息はついています。法人税もそうですし、3期目からは消費税も。他にも基本的な維持費とか、会計税務に関わる委託料とか、自分自身のための社会保険料とか、もちろんお願いしている人たちへの支払いとか、もろもろ。

フリーランスのときだって色々あるわけですが、会社にするとやはり必要なお金が変わってくる。毎月明確に出ていくお金があるので、気持ちもゆるゆるしていられません。

当たり前だけど、自分自身の制作者としての稼働費の他に、会社に残すべきお金が必要になる。その分をしっかり見積もって請求するということが、個人感覚の抜けない自分にはまだときどき難しくて大変反省しています。

自分のためだけではなく、一緒に仕事をする人のためにもここはしっかりしないといけないところ。

いまだに適正規模がわからない

お金の話の続きですが、いまだに適正規模がわかりません。

自分用の会社としてつくったので、ぐんぐん成長させるつもりはないのだけれど、それにしたって売上の規模はある程度必要なはず。新しい知見やチャレンジのために、投資に回す余裕も欲しいです。でもきてん企画室のような体制と業態だと、売上が上がる=労働量が増えるという至極当然の苦しみが生まれます。

2期目のときにちょうど、外部編集長として出版社のウェブメディアに関わるようになり、きてん企画室の案件と並行して働いていました。めちゃくちゃ働いて、一人で二人分働いて、独立以来ベストのスコアがでましたが、見事体調を崩しました。とても辛かったです。(その後、編集長として年頭所感で養生話を書いたり、養生避難日記を本として発行したりして、自分のタダでは倒れない精神はそれはそれでこわいです)

3期目は働きすぎを反省して、わたし自身の固定費を減らし、仕事もメディア運営中心に振り切りました。それ以外のきてん企画室案件は1年以上かけた本づくりが唯一大きなプロジェクトで、あとはリサーチ関連の編集、小さめの制作物編集など。パートナースタッフさんにも積極的に関わってもらいました。ただこれはこれで、売上が小さくなった上に、先に出ていくお金が多すぎて、資金繰り表を真剣につくって冷や汗を拭うという経験をしました。

現在は3期の集計中ではありますが、ちょっと極端だったな……と反省しています。ということで、ふたつの役割(メディア運営⇔きてん企画室)の塩梅とか、目標売上の規模感がいまいちわかりません。

単価を上げるべしとか、ひとに委託すべしとか、労働集約型じゃない事業をすべしとか、遠くから聴こえてくる声はあるのですが、そもそも根本的に「希望しているほどよい大きさ」を経営者である自分が掴めてないことが気になります。4期はここを考えたいです。

漠然とした安心感

でも法人にしてよかったなとは思います。フリーランスの頃に比べ、「わたし」と「会社」が人格的に分けられるといろいろ気が楽です。

給与(役員報酬)にしろ、社会保険にしろ、福利厚生的な部分にしろ、自分のことだとついおざなりになりがちなところを、法人と個人のふたつの視点で折り合いつけていくやりかたは、元会社員としてはわかりやすくて良い。

なにより仕事が大変だなとか経営が辛いなと思ったときも、冷静に見られるようになりました。わたしという個人のことではなく、法人のこととして。少し他人事にできるというのは、漠然とした安心感にはつながります。

会社を畳んだ先輩たち

この3年の間に、親しくしていて尊敬している会社が3つ、解散しました。きてん企画室よりも組織的で、なおかつ親和性を感じるコンセプトや業務内容の3社でした。

会社を畳んだ人それぞれは、経営的に苦しいというよりも、組織として動くときの矛盾や困難、ご自身の人生における仕事の適正規模を考える中で決断された印象でした。引き継ぎの方法、解散の方法、その後の生業の続け方、辞め方など、どれもすごく考えられていて素晴らしいと思います。皆さん、解散後の方が幸せそうです。会社を続ける先輩方も凄いけど、会社をちゃんと畳んだ先輩方も凄い。

その例を見ていても、会社が成長すればいいとか永遠に続けばいいとは思いません。関わる人にとって、やりたいことに対して、何より意思を持つ当人にとって、何がよい方法なのか試す一手段だと考えておきたいです。

本質的な持続性とは法人ではなく人に宿るものだとわたしは考えます。あくまでも零細企業的な立場の話ですが。

よくやっている、と、自分で言う

と、ここまで、反省点多めの振り返りを正直に書きましたが、ひとり会社運営は特に誰にも評価されないので、最後に「よくやっている」と自分で自分に言って締めようと思います。

パンデミックで3年耐えた

会社設立の3ヶ月後にパンデミックがやってきて、少なからず影響は出ました。誰にとってもイレギュラーな経営環境のなかで、よく3年乗り切ったとは思います。とある企画では、コンペで通った事業の年間計画をいちから書き換えて、サイト構築からイベント運営までコロナ禍対応のプログラムで展開しました。初めてのことも恐れずやったのはよくやった。

新しいことに飛び込んだ

もともとの専門分野だった「広報コミュニケーション」の外に出て、ウェブメディアの編集長という未知の仕事に飛び込んだ度胸は褒めたいです。それもまったく専門外かつ繊細なテーマを携えて、コンセプト設計からチーム生成、運営までよくやっています。その中でも自分の会社であるきてん企画室を手放さずに続けたのはただの執念でしたが、堪えましたね。得意なことを繰り返してスケールすることができない気質は、儲からない理由のナンバーワンのような気はしますが、楽しそうなのでよしとします。

できない自分を飼いならしている

会社をつくって、自分のできなさがますます露呈しました。とにかく事務が苦手、管理が苦手。かといってそれをひとに任せるほどの規模はまだとれない。学生時代から全科目で及第点をとるよりも、1科目だけ突き抜けることが得意でした。そんな自分が全方位的なスキルが必要な会社運営に挑んでいるのは、無謀だけどよくやっているとしか言えません。

ひとりぼっちじゃない

あとは、たくさんの人に助けてもらっていることも、よくやっていると思います。ひとり会社だといいながら、なんだかんだ相談する相手も泣きつく相手もいるものです。あの人にもこの人にも感謝しつつ、愛想をつかされないよう、これからもがんばってください。

と、なんだか最後はよくわからなくなりましたが、3年目の正直な話でした。4年目はもうすこしスマートにやれたらいいなと思いながら、きっと変わらずドタバタすることでしょう。がんばろう、がんばろう。あと、4年目は初心に返り、きてん企画室らしい企画や、情報発信もこころがけます。引き続きよろしくおねがいします。

石の上にも3年? (冒頭のヤギもこの石も、はじめてとった冬季休暇の思い出より)
中田一会 (なかた・かずえ)

Text by

中田一会 (なかた・かずえ)

“機転をきかせて起点をつくる”「きてん企画室」の代表/プランナー。文化・デザイン・ものづくり分野の広報コミュニケーション活動をサポートしています。出版社やデザインカンパニーの広報PR/編集職、文化財団の中間支援兼コミュニケーション職を経て独立。

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